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パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
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第52回:測深棒艦底を貫く

※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を
復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、以前に書いたもの
ではなく、海上自衛隊退官後23年を経過してしまいましたが、現在の私が思い
起こし感じていることを書かせていただき、今後のメルマガに掲載させていただこう、
などという企みをしました。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。「艦隊勤務雑感」という副題
も、あえてそのままとさせていただきます。むろん、艦隊勤務を本望として20年間
生きてきた私のことであり、主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」が
ごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話
を進めたいと思っております。

***

みなさんは、「測深棒」(そくしんぼう)と聞いて何だかわかりますか。
読んで字のごとく「深さを測る棒」なんですが、では、何の深さを測るのかというと、
それはビルジの深さです。では、ビルジとは何でしょうか。ひとつひとつ順番に
説明をするのも大変ですが、読まれる皆さんも大変であることは私もわかりつつ
説明をしようと思っております。護衛艦であろうと商船であろうと、艦(船)底には
水やオイルが混じった不要な液体がたまっており、これを「ビルジ」といいます。
本来艦内に不要な水分等がないことが望ましいのですが、さまざまな要因、
つまり継手等からの微量の漏れや結露によってたまる水分を全くなくすことは
困難であり、それを一定の範囲で押さえておく必要があるのです。
今では自動で計測されていて、機関室や応急指揮所などのコントロールルームで
監視ができるようになっていると思いますが、昔は、艦底の数か所に計測場所を
設けていて、真鍮合金だったと思いますが直径5ミリくらいの目盛りのついた測深棒で、
1日に2回程度計測することで、ビルジが増えていないかどうかについて
継続的に確認をしていたのです。それがこのお話しの主テーマである「測深棒」なのです。

今回も私が駆潜艇「おおとり」砲雷長の時のお話ですが、私は翌日になって
帰艦してからその状況を目の当たりにして驚いたのでした。たまたまその日の
当直士官はベテランの機関長であり、当直の機関科員もベテランのN2曹であったとのことで
事無きは得たのですが、話を聞いてみるととんでもないことだったのです。
その夜、ビルジを計測していたN2曹が、これまでの計測値に比べてやや量が多いことに
疑問を持ちました。量が多いといってもほとんど少量のことであり、見逃してもおかしくは
ないくらいだったのですが、N2曹は当直の機関長に報告するとともに、部下の機関科員に
指示して、ビルジのたまっている艦底を自分たちの手で触っていったそうです。
最近の大型艦から見れば基準排水量420トンばかりの駆潜艇「おおとり」は
小さなものですが、それでも全長は60メートルありそれなりの大きさです。
その機関室の艦底を数名の人間で、それも油の混じった汚れた水の中を
手で探っていくわけですから容易なものではなかったかと思われます。
機関長も一緒になってやったと聞きました。そして、夜遅くになって測深棒が
置かれている真下に直径5ミリ程度の穴があいていることを発見したのです。
そこから少しずつ海水が機関室に入ってきていたのです。その日は見逃したとしても
問題なかったかもしれませんが、翌日にその穴が大きくならないとも限りません。
また、何らかの外的な力によって破壊されることも予想されます。呉港の中ですから
油分を含んだビルジを艦外の海にむやみに排出するわけにはいきません。
とにかくその場は、手近にあるものを使って、水の浸入を押さえるのと同時に
一晩寝ずに監視をしたそうです。なぜ、そんなことになったのかというと、
以下のようなことであったことは私にとっても大きな驚きでした。

昭和35年10月に竣工した「おおとり」はすでにその当時艦齢20年を超えていました。
その間測深棒は計測の度に、保管位置として設定されている環から引き抜いて
外してから計測を行い、終了するとその場所に戻されるのですが、その際には、
ある程度の高さからストーンと落とされるのです。その度に測深棒の先端が
艦底の鉄板を突くことになっていたのです。20年に渡って、これを日に2回、3回と
繰り返していたというわけです。翌日に潜水員による調査を実施して艦底の状況を確認し、
造修所によって当面は水中溶接で艦底の外板にパッチあてのようにして鉄板を
張り付けて海水が浸入しないようにしました。年次検査(年に1回の修理)まで、
あと半月と迫っていたのでこのような応急修理になったものと思われます。
それでも、それまでの間の訓練では不安な気持ちを持ちながら出港したのを覚えています。
更に、修理で因島の造船所に入って、艦底を直接この目で見たときには、
それ以上に驚いたものでした。穴そのものは直径1センチ程度のものではありましたが、
その局部の周囲は半径4~5センチに渡って手でもはがせそうなほどに
鉄板が薄くなっており、全体で見れば縦30センチ、横50センチくらいの楕円形の
範囲の鉄板が明らかに薄くなっているではないですか。もともとの艦底の外板の板厚は
18ミリ程度であったと思いますから、それはそれはすごいことだと思われました。
そのまま、発見されずに見過ごされてしまったときに、朝になって気づいたら
機関室に大量に浸水してディーゼルエンジンが使用不能になってしまったなどということも
想定されることなのです。もっと言えば駆潜艇「おおとり」が全区画に浸水して
呉の港の中で沈んでいた、なーんてことになったかもしれません。
いやはや、大変に驚いたことではありましたが、それと同時に、たとえ小さなことではあっても
繰り返して継続されることが、いかに大きな力となるのか、ということを実感させてもらった
体験でもあったのです。まさに、「小さな測深棒が艦底を貫いた」のでした。

 

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