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第58回:海の上は政治の延長(中)(津軽海峡東口で待機せよ)

※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を
復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
以前に書いたものではなく、海上自衛隊退官後23年を経過してしまいましたが、
現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、
今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしました。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、
主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいります
のであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

***

海の上は政治の延長(中)(津軽海峡東口で待機せよ)

前回、「海の上は政治の延長」として、海の上で私が出会ったことについて
書かせていただきましたが、もうひとつの出来事について書いてみたいと思います。
これも青森の大湊で第32護衛隊隊付として勤務していた時のことです。
大湊地区では、宗谷海峡と津軽海峡という戦略的に見て重要な国際海峡が担当警備区に
含まれています。宗谷海峡については、対馬海峡とともに常続的な監視が行われており、
艦艇が計画的に派遣されているのですが、津軽海峡においては対象国の艦船が通過する際に、
状況を見てその都度対応することとされていました。
そのため、大湊地方隊の護衛艦5隻、掃海艇3隻には日替わりに交代で応急出動艦という役割が
振られており、何かあれば優先的にその艦を出港させるということになっていました。
とはいえ、掃海艇は500トン程度の木造の小型艦であり、天候によっては荒れた津軽海峡で
航行の制限を受けることも多く、掃海艇が応急出動艦に指定されていても、
実際には護衛艦に緊急出動の役割がまわってくることも良くあることでした。

ある土曜日、その日の応急出動艦は掃海艇の部隊だったのですが、昼食も終わり
「きたかみ」士官室でくつろいでいた私に、大湊地方総監部の防衛部長から
お呼びがかかりました。それだけで、隊司令、艦長以下士官室の全員に緊張が走ります。
私は、飲みかけのコーヒーに未練を残しつつ、総監部に走りました。防衛部長M1佐から、

M1佐:「隊付、すぐに出港してくれ、何時に出られる?」ときました。

私:「すぐと言われても、上陸員も出してしまいましたから、わかりませんが、
最善を尽くします。」

「ところで、ソ連の艦ですか、どんなやつなんですか‥‥?」

と聞いたところ、

M1佐:「まあ、それはいい、すぐに出港して津軽海峡東口に向かってくれ」

私:「そう言われても、艦長に何と言えばいいんですか?」

M1佐:「こちらもわからんのだ、隊司令宛の命令を出すから、司令も君も
乗艦して行ってくれ」

押し問答をしても仕方ないので、その場で電話を借りて、「きたかみ」当直士官に警急呼集と
緊急出港の準備をお願いして、隊司令に代わってもらい状況を報告した後に艦に帰りました。
大湊の護衛艦乗組員にとっては日頃慣れていることもあり、
また、あまり大きくはない街でもあるので、「きたかみ」の乗組員は30分ないし40分程度で
ほぼ全員が艦に戻り、1時間後には出港準備が整いました。その早さにはいつも驚きの目を
持って見ていた私でした。午後2時過ぎに出港、状況がわからないままむつ湾を出て津軽海峡を
東に向かいました。
夕刻には海峡の東口に着きましたが、出港時に届いた「津軽海峡東口において待機せよ」という
指示以上のものは何もありません。
取り敢えず明朝までには何らかの指示あるいは情報があると思い、
その日はそのまま待機しましたが、翌日になっても新たな指示も情報もありません。
3日目にも何もありません。普段不必要なことはあまり口にせず、
隊司令からの信頼も厚い「きたかみ」艦長B2佐でさえ、
「隊付、いったいどうなってるんだ?」と言われるような状況です。

私:申し訳ありません、私にも、司令にもそれ以上のことはわかりませんので‥‥。

艦長:まあ、そうだな、仕方ないな‥‥!

私は艦長に対しても、乗組員に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいですが、
何ともしようがありません。何か連絡がないものかと電信室に足を運ぶたびに、
きたかみ電信員からも、隊電信員長からも、「いったいどうなってるんですか‥‥?」
と聞かれますが、答えようがありません。
食堂を通れば、乗組員は私には何も言わないものの、「どうなってるんですか‥‥?」
と全員の目が言っています。
4日目になって、この先、状況不明のまま推移したら
何かとんでもないことでも起こるのではないか、という不安が私の胸をよぎったのを
覚えています。何事もなかったのは、粘り強い東北、北海道出身の隊員が多い大湊の
部隊だったからではないかと今でも思っているところです。
昼になって副長のH1尉から、生糧品は何とかなるものの、出港が土曜日だったこともあり、
タバコが切れてしまっている、という話をされました。
個人でも買いだめしていたものがなく、酒保(艦内の売店)も品切れ状態で
出港してしまったようです。
タバコは単なる嗜好品とはいうものの、愛煙家にとっては、
吸えないことも大きな苦痛ではありますが、まして、在庫が底をついたとなると余計に
吸いたくなるようでもあり、艦の士気にも影響します。
隊司令にお願いして、司令の名前で総監部の防衛部長あてに物品の補給をお願いしました。
「タバコ」だけとも言えないので、それらしい必要物品(和文タイプ用のカーボン紙が
切れたの、調味料が切れたの)に併せて、タバコのお願いもしました。
翌日の午後になって、大湊航空隊のヘリコプターが飛来して、要求した物品以外に新聞や
週刊誌を含めたさまざまなものが届きました。
この時飛んできたのは、第50回「弾着観測実施できず」で弾着観測に飛んで来てくれた
同期のY1尉だったのは偶然でもなかったように思います。
ただし、こちらの要求の本音は「タバコ」少々だったのですが、そのことを
察知してくれたかのように、予想以上の種類と量のタバコが届いたこと、
要求のリストにない新聞や週刊誌、その他の生活用品などを一緒に送ってくれたことには、
乗組員一同に「総監部はわれわれのことを気にかけてくれている」という大事なメッセージも
一緒に届けてくれることにもなりました。
5日目の夜になって、内容には触れていないものの、「通過艦船に注意せよ」という
メッセージが届きました。
深夜0時を少し回った頃、レーダー画面上に大きな映像がいくつも映るのが確認できました。
5000ヤードくらいに近づいても灯火を消しているのか何も見えません。
最初に私の目に入ったのは駆逐艦程度の比較的小型の艦でした。
灯火は消えていますが、北海道側の沿岸にいるイカ釣り舟の明るい光を背景にして
目の前にシルエットが浮き立ってきます。その瞬間、私はびっくりしました。
どう見てもソ連海軍の艦ではありません。私の知る限り、米海軍のフリゲート艦、その後ろは
大型の巡洋艦と思われます。その後ろに巨大な艦影が見えたのは、私が巡洋艦から目を離した
その時でした。その艦から、発光信号でこちらを誰何してきましたが、こちらとしても
答えようがありませんでした。何とそれは米海軍の航空母艦でした。
その後、更に駆逐艦、フリゲート、巡洋艦、更には補給艦と10数隻の艦が
通過していきました。そして、少し距離を置いて最後に通過したのが、米海軍部隊に
追随しているソ連海軍の駆逐艦でした。
私自身、何が起こっているのもわからず、もちろん、隊司令も、艦長も同じようであったと
思われます。艦名はわからないものの、何型の艦かくらいのことは判別できるため
状況については逐一大湊地方総監あてに報告をしました。
翌朝になって、総監から任務終了の命令が来ました。
都合6日間に及ぶ目的不明の行動であったのですが、事が事だけに、乗組員一同その後は
何か大きな、意味のある任務についていたような気がしたものでした。
翌日の午後に入港して、隊司令、「きたかみ」艦長について大湊地方総監Y海将に報告に
行きましたが、米海軍の状況や意図について教えていただき、われわれが何のために
津軽海峡東口にいたのか、そして総監部として情報を開示できなかったことなどについて
説明を受けました。

数日後、新聞各紙の一面に次のような記事が掲載されました。

「米海軍空母機動部隊、ソ連海軍の聖域オホーツク海にはじめて入る」

 

次回は「海の上は政治の延長(下)」(サイパンのクリスマスソングが聞こえる)です。

 

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