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パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
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第68回:駆潜艇「おおとり」衝突

※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を
復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
以前に書いたものではなく、海上自衛隊退官後25年を経過してしまいましたが、
現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、
今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしました。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、
主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいります
のであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

 少々生意気な話ではありますが、私は若いころから自分の操艦技量については多少の自信を持っていました。このコラムに何度も書かせていただいている名艦長K2佐の薫陶、指導を受けたという思いもあり、2年目には自ら当直士官として操艦に当たってきたということもあり、航海長の配置を2度経験していることなど、多少なりとも艦(ふね)を操る勘といったものは、養われていたものと思っています。ただ、艦長を経験せずに退職してしまったのですから、偉そうなことは言えないことを承知の上で、今回は敢えて生意気な立場でのお話をさせていただければと思っております。

 私が呉で駆潜艇「おおとり」の砲雷長として勤務していた時のことです。26歳になって半年くらいの頃だったと思いますが、懸案の駆潜艇術科競技も第3駆潜隊の優勝で終わり、私自身も着任後10ヶ月が経過していた昭和55年初夏のことでした。あと2週間後には因島の造船所にて年次検査(1年に1度の修理)に入る予定になっていました。僚艇の「はつかり」と2隻での訓練を終えて呉に帰投する際に、飛渡瀬にある貯油所で燃料搭載を行いました。燃料搭載が終わる頃に10年先輩である艇長のF3佐(当時)から、「おい砲雷長、Eバースの横づけはおまえがやってみろ……」と言われました。「できるよな……?」と言われて、私にノーという答えはありませんでした。多少の不安がなかったわけでもありませんが、あきづきでお世話になったK2佐からも、若い時に艦長から出入港をさせてもらった経験談なども聞いていたので、不安より前に、「しめた!」という気持ちにもなりました。「しめた!」というよりも、艇長が自分にそう言ってくれたことが嬉しかったのだと思います。とはいえ、いつもの出入港では私の配置は前甲板における前部指揮官なので、艇長の操艦の細部を見ているわけではありません。小さい駆潜艇のため、前甲板からでも号令の一部が聞こえており、どのように舵を使っているのか、機械を使っているのかはある程度はわかりますが、それでも微妙なところはわかっていなかったものと思っています。

 前部指揮官の役割は運用員長のS1曹に任せて、入港用意の号令がかかる前に艦橋に上がりました。昔の呉Eバースは、固定された桟橋ではあるものの、岸壁から張り出した構造で下を海水が自由に通る構造になっていましたが、入船でまっすぐに入っていけば、さほど苦労することなく横付けできるところです。しかし、当日「おおとり」の横付けする手前に、掃海艇(木造で海に沈んだ機雷を探して処分するのが任務)が1隻横付けされていました。その掃海艇をかわしてから桟橋に横付けする必要があることは予めわかっていましたので、さしたる不安もなく、「砲雷長操艦します」といって艇長に代わって入港針路にしました。天気は晴れ、風もほとんどない横付けには最適の天候でもあります。艇(ふね)の速力によるさわやかな風をほほに受けながら、最高の気分であったのを覚えています。私は掃海艇の手前で、「両舷停止」の号令をかけ行き脚を止めた後、掃海艇と艇首が並んだくらいのところで、「右後進微速」と予定したとおりに号令をかけました。左右両軸を同時に後進にかけると、そのまままっすぐの状態で停まりますが、右軸だけ後進をかけると、後進の効きは弱くなりますが、艇(ふね)は艇尾を左に滑らせるようにして桟橋に寄っていくのです。私自身絶妙のタイミングであり、「よし!」と思いながらかけた号令であり、そのまま、掃海艇の艇首を「おおとり」の艇尾がかわしてピタリと桟橋に横付けするつもりになっていました。

 その時予想外のことが起こったのです。風もないのに想定した以上に「おおとり」全体が左に落とされていくのです。「おおとり」の艇尾が掃海艇の艇首をかわす前に掃海艇との距離が縮まり、結果として、「おおとり」の艇尾にある固定された手すりが掃海艇の艇首側面にぶつかり、5センチくらいの深さでしたが、長さ10センチほどえぐり取ってしまうことになりました。私は「しまった」とは思いましたが、どうしようもありません。艇長F3佐も驚いたことと思いますが、係留終了後に自ら掃海艇に出向いて謝罪をしてくれました。私も作業終了後に掃海艇に謝罪に行きましたが、掃海艇の艇長A1尉(当時)は私が学生時代の指導教官であった方で、「大丈夫、大丈夫、木だから壊れるのが当たり前なんだ」と言って笑ってくれました。原因は、私が桟橋の下の潮の流れを計算に入れていなかったことでした。それほど速い流れがあるわけではありませんが、桟橋の下は自由に海水が出入りできるため、時間によって潮の流れが変わっているものでしたが、私自身の想定の中に入っていなかったのです。特に、両舷停止の号令をかけて速力が小さくなればなるほど潮の流れの影響が大きくなるのは当然であり、私の操艦が絶妙であればあっただけ、微妙に「おおとり」の艇尾が掃海艇の艇首に接触してしまうこととなったのでした。ただし、それよりも私の中で大きな要因として考えられたことは、たかだか26歳の艦乗り(ふなのり)ではあった心の中に、分不相応の「驕り」があったことのように思えてなりませんでした。艇長F3佐は、原因についての解説はしてくれましたが、以後接触のことについては何ら叱責も注意もなく、「まあ、良い経験になったかな……?」と言って笑っていました。その笑顔に接すれば接するほど、自分自身の中では自らの「驕り」に対する自責の念は強くなっていきました。

 翌週、修理に入ることもありそれ以上何事もありませんでしたが、私の部下の面々が、後部の曲がった手すりに、角材や竹竿を副わせて少しでも曲がりを修正しようとしてくれている姿に、大変申し訳なく感じたものでした。とはいえ、彼らが口々に、「うちのボスがやってくれたことだから、俺たちで直さなきゃなるまいよ……」と言いつつ一生懸命になっている姿に、どこか救われたような気がしたのも事実でした。

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