第70回:手順が変わると‥‥ « 個人を本気にさせる研修ならイコア

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パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
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第70回:手順が変わると‥‥

※弊社のメルマガに以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
20年前に書いたものではなく、退職後27年を経過してしまいましたが、
現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、
今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしております。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、
主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいります
のであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

 今回は日常行っている手順が変わると、どのようなことが起こるのかについて考えてみたいと思います。最近、ある人から次のような話を聞きました。毎週1回行われる定例の会議が、いつもとは異なる部屋で(いつもの場所の隣の部屋で)行われた際のことだったそうです。2月の夕刻のことだったそうで、すでに日は落ち真っ暗だったようです。6時半過ぎに会議が終了したところ、参加者の中で当日急いで帰ろうとした方が、いつもの会議室から出たつもりで、照明の消えた暗い廊下をまっすぐ進んだところ、目の前にあった階段から転げ落ち大けがをしてしまったそうです。この話を聞いて、私は海上自衛隊において実際に起こった出来事を思い出しました。どちらも私が直接見たこと、経験したことではありませんが、海上自衛隊における艦艇を舞台としたものであり、聞いた私が大変驚いたことであったので、みなさんにお伝えすべく触れてみたいと思います。
 
 ひとつは、ある護衛艦での話です。夜間航行中に、艦橋(ブリッジ)の前にある76ミリ速射砲の中で、一人で調整作業をしていた隊員が、作業中に砲塔の後部にあるハッチから出たところ、たまたまというか必然というか、甲板から転落して海に落ちてしまったのです。自分で砲を左90度に旋回させていたことを忘れていたのですが、そのまま後部ハッチから出れば、その先は右舷側に向いているのです。明るい照明の中からまったく光のない暗夜の甲板に出たところなので、目が慣れていなかったことは想像に難くありません。当人は艦の後方へ出たものと認識して歩き始めたところ、右舷側から海に転落してしまったのです。護衛艦というものは、通常出港後に「合戦準備」の号令により、いつでも戦闘態勢に移れるよう、舷側(上甲板の周囲)に張り渡してあるスタンション(転落防止用に鎖のついた柱)を倒した状態にしていますから、そのまま進めば海に転落するのは当たり前のことではあるのですが。この時は、たまたま艦橋の右見張り員が転落に気づき、速やかに報告したのです。もちろん、部隊は夜間の縦列航行中のため、自艦で救助しようにもできるわけがないのですが、航海指揮官のとっさの判断で、無線で後続艦に、「人が落ちた右舷」と通報したのです。その通報を聞いた後続の艦が、運良くそこに落ちていた隊員を視認して救助できたとのことでした。おそらく、後続艦が1000ヤード近く離れていたこと、また、速力がさほど大きなものではなかったことが、このような救助を可能にしたものと思われますが、ことはそれほど簡単なものではありません。後続艦が停止して隊員を拾い上げようとすれば、更にその後に続く艦が危険になるので、通報を聞いた各艦は、速やかにその針路を避けて右あるいは左に針路をとって回避しなければなりません。実際に救助に当たったのは、その時の最後尾にいた艦だったと思われるのですが、このような緊急時の運動と救助の要領は、予め定められており、言ってみれば、各艦その要領に従って行動しただけ、ということでもあるのです。日頃の訓練が確実な成果に結びついたこと、とも言えます。しかし、暗夜でのできごとですから、見張りや後続の艦が視認できないことも想定できるわけであり、落ちた当人もよほど強運の持ち主であったのかもしれません。
 
 もうひとつは、もっと昔むかしの駆潜艇での出来事です。その部隊では、母港においては出船係留をしており前進で出港しているため、日常の出港時に艇長から最初に下される号令は、「両舷前進微速」というものなのですが、訓練の途中で寄港した港には入船で入港していたため、出港時には後進(バック)で出ることとなったのです。ところが、速力通信器の操作員がいつもどおり前進の操作をしてしまったため、目の前の岸壁に衝突してしまったということなのです。これは、駆潜艇「おおとり」勤務時代に、隊司令であったT1佐からお聞きした話です。T1佐も自身が当事者であったわけではなく、隣の艦(艇)で起こったこととしてお話しをしてくれましたが、呉を母港としていた私たちが、その日は横須賀の長浦港に入船で入港していたときであり、また、目の前の岸壁に衝突したという大きな事故につながったことだけに、若かった私にとって非常にインパクトのあるものでした。昔の駆潜艇でも護衛艦でも、今のように艦橋(ブリッジ)での速力変換操作ができないため、速力通信器という箱状の機器があって、左右についたダイヤルを動かすことにより、左軸及び右軸の速力(プロペラ回転数)の指示を機関室に伝え、機関室ではその指示に合わせてエンジンの回転数を調整するということをしていました。
(映画などで、船のブリッジが出てきたときに、“SLOW”“HALF”“FULL”などと表示されているものが、商船とはいえ同じ機能を持ったものです。)
 前進で出港する際には、速力通信器を操作する隊員(速力通信器員といいます)は、両手で速力通信器の左右についているダイヤルを前進側(自分から見て向こう側)に倒して、機関室に速力を指示するのです。ところが、入船で入港していたため、出港時の艇長からの最初の操艦号令は、「両舷後進微速」だったのです。その号令を受けた速力通信器員は、言葉では「両舷後進微速」と復唱したのですが、速力通信器を操作する手は、母港から出港するのと同じように前進側(自分から見て向こう側)に回してしまい、気がついた時には、艦の行き脚が前進にかかってしまいました。艇長が気づいて「両舷停止」「両舷後進一杯」という号令をかけ、プロペラを反転させる操作はされたものの、そのまま目の前の岸壁に激突してしまったとういうのです。
 どのようなところでも、ひとつ気を許せば一人の人間の小さな錯誤から大きな事故につながってしまうことは避けられないものです。「安全」を確保するためには二重、三重の確認をする手段が講じられるのだと思いますが、それでも事故は起こってしまうことがあります。この事故においても、たとえ上甲板の状況を見ることができない機関室の勤務員といえども、これから出港するという時に前進の回転にすることにおかしいということを誰も気づかなかったということもその要因と思われます。
 
 私は昭和57年夏に、新聞の紙面を飾ってしまった重大な事故を自分自身が当事者として体験したことがあります。その内容については、いつか、このコラムでご紹介できればと思っておりますが、私の中ではその後の事故処理も含めてあまりにも大きなできごと、体験であったため、いまだ書くための気持ちの整理ができていません。(そのうちに書けるようになるかとは思っていますが。)そのような経験を通して、私自身「安全」に対する意識や、事故を防ぐ手段の必要性については身にしみてわかったつもりでおりますが、それでも、いろいろな事象に遭遇してみて、本当に二重、三重に確認する手段を講じているかということには、まだまだ不安のあるところであります。特に、日常ルーティンで行われていることと異なるやり方、プロセスをとる場合には、十分な確認とともに二重、三重の注意深さが求められることと思います。

 

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