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紺野真理の「海軍におけるマネジメント」(艦隊勤務雑感)
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第84回:SPATを捜索せよ

※弊社のメルマガに以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、20年前に書いたものではなく、退職後28年を経過してしまいましたが、現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしております。前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

 それは、私が「はるゆき」を退艦する前でしたから、おそらく、昭和62年の暮れ近くではなかったかと思われます。第32護衛隊「はるゆき」に急な出港命令が下りました。任務は、同じ第1護衛隊群隷下の第41護衛隊の護衛艦「はつゆき」が、相模湾沖での魚雷発射訓練に使用した水中自走標的(通称SPAT)を亡失したという報告があったことから始まりました。

 SPATとは、魚雷の形をした自走標的ですが、護衛艦に装備の魚雷よりやや細くて長い形状で、標的担当艦の甲板上において起動して投下すると、海中を決められたパターンに従って魚雷のように航走します。そのパターンは投入前にさまざまに調停ができ、針路、速力はもとより航走する深度まで設定して航走させることができます。ただし、実際の潜水艦に比べるとはるかに小さいわけですから、そのままでは護衛艦のSONARで探知することが困難なため、護衛艦の発振(SONAR)音を受信すると、それと同じ周波数を増幅して発振する機能を持っているのです。そのため、SPATそのものは小さいものの、探知を得た護衛艦の側では大型の潜水艦を探知したと同じ信号を受信して、あたかも実際の潜水艦を探知しているような状況を洋上で作り出せるものなのです。当時は私もすでに34歳になっていたのですが、若い頃、静止標的を海に投入して、それに向かって魚雷を発射していたことから見れば格段な進歩と感じられました。日々の訓練は艦内においてもシミュレーションや過去の録音、録画したデータを使ったりすることもできており、武器、装備等の格段の進歩に感心していたことを思い出します。 

 「はつゆき」がSPATを亡失という報告の第一報は、第43護衛隊隊付であった2年先輩T1尉からでした。T1尉(以下、「隊付」と呼ばせていただきます)は、必ずしも組織で出世するようなタイプではありませんが、頭の切れというか、直感力というものには日頃私は感心することが多く、敬意を持って接していた先輩でもありました。隊司令が「はるゆき」に乗艦されていた時なので、隊付とは頻繁に士官室で顔を合わせていましたが、隊付は電報用紙を片手に士官室に飛び込んでくるなり、「水雷長大変だ、『はつゆき』がSPATをなくしたらしい、今相模湾沖で訓練中だ」という言葉に続いて、「SPATがなくなることなんかあるのか?」という質問が飛んできました。私は水雷長という立場上、SPATの取扱い等について、当時の水雷調整所へ出向いて講習を受けたりもしており、これまで2度ほど、自艦で投入、回収も経験していました。

 私は驚きもしましたが、可能性としてはあり得ることではあるものの、予定の航走を終了すれば浮上するように設計されており、航走のパターンも先に述べたように自分でセットするものですから、「すぐに見つかるであろう」くらいにたかをくくっていました。しかし、昼近くなっても発見したという報告はなく、隊付が群司令部と電話のやり取りで忙しくなっていました。その電話が終わるや否や、たまたま士官室にいた私に対して、「水雷長、出港だ、SPATの捜索協力だ」「司令に報告してくる」と言うではないですか。平日の停泊中であったため、乗組員もほとんどが在艦しており「はるゆき」としては何の不都合もありません。捜索の実施も相模湾と伊豆大島との間の海面であり、またSPATの捜索という目的であれば、すぐに出港することは可能でした。それでも艦長以下乗組員の誰もが、「ハトが豆鉄砲をくらった」ごとくに慌てたのは確かでしたが、整斉と横須賀吉倉港の岸壁を離れ、相模湾に向けて浦賀水道航路を南下していきました。ただし、「第59回:海の上は政治の延長(下)(サイパンのクリスマスソングが聞こえる)」に書いたように、緊急に出港して予定外の長期行動になった記憶も残っており、部下一人ひとりの表情にも、どこか「困ったなー」というものが見えていました。

 みなさんは、相模湾沖とか伊豆大島近海とは、横須賀からどのくらいかかるかご存知ですか。けっこう遠いという印象を持たれる方が多いかと思いますが、通常だと日帰りで訓練して帰ることができる海面なんです。3年に一度(昨年は台風の影響で中止されましたが)海上自衛隊観艦式は毎回相模湾で行われており、一般の乗艦者を毎日横浜、横須賀、あるいは木更津などで乗艦、退艦させています。浦賀水道航路を抜けた後は高速で航行して、出港後2時間と少しで予定海面近くまで来ました。1期後輩の航海長が当直士官として操艦に当たっており、そろそろ予定航路としては西に変針しようとするところでした。隊付が、艦橋の海図台で捜索範囲を確認していた私に、「水雷長、もう少し南下してみようか」と言うではないですか。みなさんにはなかなか理解していただけないかと思いますが、どの海域を捜索するかの最終的な決定権は隊司令にあり、当然艦長と協議の上ということになるのですが、実際には、隊司令の幕僚である隊付と、「はるゆき」においてはSPATについては誰よりも熟知しているはず(?)の水雷長である私の二人で決めることになるのです。いつも論理よりも動物的な勘の鋭さを感じさせる隊付の言うことなので、「何でですか?」と聞いてみたのですが、隊付は「おそらく、『はつゆき』は予想浮上ポイントの付近で捜索をしているだろう。俺にもわからんが……、俺の勘だけど、せっかく『はるゆき』が捜索するんだから、『はつゆき』が予想もしないところに行かないと意味ないだろう、まあ、俺の勘だよ……」と言って、隊司令と艦長に「あと3マイル南下してから捜索を始めます」と進言して、針路はそのままとしました。

 私としても、最初の亡失という報告を受けた時からはすでに5時間以上経過していることもあり、捜索中の「はつゆき」との距離をとって捜索範囲を広くとろうという意図であろうと推測しました。捜索開始は10分から15分後と考え、その前にコーヒーを飲んで航海長と交替しようかと思い、一度士官室に降りていきました。コーヒーを2口、3口飲んだころ、航海長から「SPATの色は赤ですよね……?」という声がテレトーク(艦内通信機)から聞こえました。私は、「そうだよ、赤だよ」と答えると、「水雷長、すぐに上がってください、右艦首に赤いものが見えます」というではないですか。コーヒーカップを士官室係に預けて私はすぐに艦橋に上がりました。すでに艦橋では大騒ぎになっており、「水雷長、しっかり見てください、間違いないですか……?」と航海長に言われて、右舷ウィングにある20倍の双眼鏡にとりついて確認しました。間違いなくSPATがちゃんと浮上して海上を漂っている姿が見えました。私は、「SPATに間違いなし」と大声で叫ぶとともに、マイクで「SPAT揚収用意、関係員配置につけ」と号令をかけてもらいました。その後は私の部下の水測員、魚雷員が中心となって、内火艇を降ろすとともに、ダビッドなどSPATの揚収のため準備があっという間に整いました。その間、隊付は、「はつゆき」とその上級指揮官である第41護衛隊司令に宛てて電話で「SPAT発見、こちらで揚収する」と送っていたのですが、「はつゆき」からは、「了解、本艦で揚収する」と言ってきました。私としては、万が一途中で沈んでしまうことも考えられるため、内火艇にSPATを拘束させてすぐに引き揚げようとしていたのを、しばらく待つこととなりました。「はつゆき」にしてみれば、他の艦に引き揚げられてしまったのでは、後々面倒なことになることを懸念するのは当然のことではあったし、亡失した責任とともにメンツということもあるのでしょう……。私は、「はつゆき」が近傍に来るまでの間、SPATを拘束したまま洋上で浮きつ沈みつしている自艦の内火艇とその乗組員を見ながら、気が気でなかったことを覚えています。結果として、「はつゆき」がなくしたSPATを、「はるゆき」が横須賀から駆けつけて発見したのですから、第43護衛隊としては、そして「はるゆき」としては万々歳なのです。そして、誰が最初に見つけたのかというと、通常であればSONAR室の配置で艦橋にいることのない私の部下の若手水測(SONAR)員S1士が、捜索の応援として艦橋に上がってたまたま発見したのです。

 とはいえ、現場付近まで進出したところで、予定航路にこだわらず自らの判断で更に南側を捜索しようと意図した隊付の判断は、隊司令、艦長はもとより、「はるゆき」乗組員からも称賛の声が上がったのですが、ご当人は、「まあ、俺の勘だよ……」というだけです。しかし、よく考えてみれば、隊付が変針前に口にした、「『はつゆき』は予想浮上ポイントの付近で捜索をしているだろう」ということに重みがあったことに気づきました。海上の潮の流れというものは、わかっているようで実はあまり良くわからないことが多いのです。黒潮、親潮などの地球規模で観測できる大きな流れというレベルでは一定のものがありますが、相模湾沖のような海域では、黒潮の流れの小さな変化や潮の満ち引き、気圧の変化による風の影響など様々なものあります。しかし、「亡失してしまった」と思っている当事者にとっては、自らセットした予想浮上地点から離れるには明確な根拠とともに「勇気」が必要となります。それに比べて、協力に来た立場としては自由に発想ができたということなのだと思います。「岡目八目」とはまさにこのことだと感じたところでした。とはいえ、SPATはめでたく見つけることができたので、すぐさま帰投針路として、その日の夕刻までには意気揚々と横須賀に入港し、当直員以外は当たり前のように上陸することができた1日であったのです。

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