第87回:面倒くさい « 個人を本気にさせる研修ならイコア

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紺野真理の「海軍におけるマネジメント」(艦隊勤務雑感)
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第87回:面倒くさい

※弊社のメルマガに以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、25年前に書いたものではなく、退職後29年を経過してしまいましたが、現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしております。前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

 先日、若手の社員が、「私って、『やらなきゃいけない』とはわかっているのですが、つい『面倒くさい』って思ってしまうんですよね」ということを言っていました。この社員に限らず、「面倒くさい」と感じることは誰にもあることと思いますし、人間として当たり前のことかもしれません。そんなことを考えていた時に、ある会社の部長研修を実施中、一人の部長さんが、突然同じグループの受講生の方々に対して、「海軍五省」の話を始めたので、私も聞き耳を立ててしまいました。

 「海軍五省」って、みなさんご存じですか。海軍兵学校において、日常の行動の戒めとして考案された標語といったものです。海軍兵学校といっても、五省のはじまりは昭和7年からということらしいので、実際には終戦までの12~13年ということのようです。現在の海上自衛隊においても、海軍兵学校の伝統を受け継ぐ幹部候補生学校において自習室に掲げられ、夕刻に候補生が唱和していると言われています。その良し悪し、効果の有無は別にして、そこには次のように示されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その最後に、「不精に亘るなかりしか」とあります。

 五省を反芻するうちに、特に「不精に亘る」という言葉が気になりだしました。私が不精であるか否かは別にして、私自身が「面倒くさい」と感じていたことについて、いろいろと考えたことを思い出しました。

 それは江田島の幹部候補生学校卒業後に練習艦隊の実習幹部となり、「かとり」という当時の練習艦の乗り組みになって、国内巡行、修理地実習、遠洋練習航海が実施された8か月間に感じたことなのです。艦の上ではいろいろとやらなければならないことが多くあります。練習艦とはいえ76ミリ連装速射砲や対潜水艦攻撃用ロケット、短魚雷発射管などを装備しており、護衛艦を模擬して行われる訓練、作業にもさまざまなものがありました。艦上においては、各種訓練における用具の取り出し、格納、洋上給油やハイラインといった洋上での燃料や物品の受け渡しのための作業など、その種類にも多くのものがあります。訓練とは別に、朝夕の甲板掃除から甲板上にある種々の索具や金属部分の手入れも必要になります。これらは通常の訓練、業務として行われるものでもあり、やることの意味も明確であり、その必要性も感じられるものです。そんな中で、特に私が感じたのは、「天幕張り」の作業でした。「天幕張り」ってみなさんわかりますか。昔の護衛艦(旧海軍の艦でも同じだったと思いますが)では、夏の暑い季節などには停泊中に、暑さ除けとして上甲板に天幕を張ったものです。天幕とは日除け、雨除けのテントのことであり、学校の運動会などでその都度組み立てられるあの来賓席用に設置されるテントを想像していただければわかりやすいと思います。「かとり」においては、夏の暑さ除けというわけでないのですが、後部のヘリコプターが着艦できる飛行甲板は、国内、海外を問わず寄港地では艦上レセプションが行われるため、入港後に天幕を張ることが多くなります。

 「飛行甲板総天幕」という号令がかかると、乗組員の多くが甲板に出て、金属製の柱を立てボルト・ナットで固定して天幕を張ります。実習員であるわれわれにも作業の割り当てがあり、その都度交代で実施することとなります。天幕を張る、と簡単に言いますが、柱の立てる場所は定められているのですが、そこに立てる柱にも種類により違いがあり、強度を持たせるために斜めに梁を付けるようになっており、それらをひとつひとつボルト・ナットで止めて組み立てるものなので、けっこう「面倒くさい」ものだったのです。もちろん、私も実習員ではあるものの、まじめに作業に当たっていましたし、作業中に手を抜いたりはしていません。しかしです、「面倒くさい」という気持ちは私の中で広がっていき、何かもっと良い方法はないものかと思うようにもなっていました。もちろん、「面倒くさい」という気持ちが、さまざまなもの、やり方を改良、進歩させる原動力でもあり、そのように感じること自体は悪いことではないと思っています。しかし、毎回、同じ手順で同じものを組み立てていく連続の中で、もっと良い方法はないのか、別に効果的な手段があるのではないか、という考え方が広がるとともに、自分として意味のないことをやっているように感じられたことが、私の中で大きくなっていったようでした。

 そんな中で、場所や時機は記憶にありませんが、インドのムンバイ(ボンベイ)であったか、インドネシアのジャカルタであったか、はたまた、タイのバンコクであったのか失念してしまいましたが、遠洋練習航海も後半に入ってからの海外の寄港地であったことは間違いのないところです。同じように、「飛行甲板総天幕、艦上レセプション用意」の号令で当日当直であった私たちも動き始めました。ところが、この日はなぜだったのかわかりませんが、黙々と作業を行う「かとり」乗組員の海曹、海士諸氏の姿がいつもと違って私の目に飛び込んできたのです。彼らの動きや表情には私のような「面倒くさい」といったものがまったく感じられません。やらなければならないと思っていることについて、目的を理解しているかどうかは別にして、迅速に、そして安全、確実に、かつ静粛に作業を行っているように見えました。ボルト・ナットひとつでさえ漏れることはありません。天幕を梁に固定する紐でさえ、きちんと端末の処理をしていきます。特に風が強いわけでもないので、ボルト・ナットひとつくらいが緩んでいようが問題はないと思われますが、一か所たりともおろそかにはしません。彼らの中にも私と同じように「面倒くさい」と感じることは当然あると思われます。あって当たり前だとも思います。しかし、彼らの表情や動きからはまったく「面倒くさい」という意識を感じることができません。その時、私の中では目の前の動きがすべて止まってでもいるかのように、あるいは映画の一場面でも見ているような心持になりました。そして、私の心の中に、彼らに指示、命令する立場に立とうとする自分自身が持っている「面倒くさい」という気持ちについて、これはいったい何なのだろうか、という思いが広がっていきました。

 「面倒くさい」という意識を心に持ちながらも、「かとり」の乗組員の海曹、海士諸氏には、目の前のやるべきことに対しては絶対に手を抜かない、決められたことは決められたとおりに行う、そんな意識や姿勢を感じ取ることができました。そうなんです、艦上での作業にはいろいろありますが、ひとつの手順を「面倒くさい」という意識で「まあいいや、このくらいで…」と手を抜くことは、それは艦を沈めることにつながるのです。例えばの話ですが、護衛艦には防水扉、防水ハッチというものがあります。艦が浸水という事態になったときに、被害を限られた区画に局限するための水密性の高いドアやハッチのことです。一つのハンドルだけで全体を占めることができるものもありますが、小さなハッチなどは、複数の止め金具をひとつひとつ絞めて水密性を保持します。その時に、「まあいいや」ということで1本の止め金具の締め具体が完全でなかったことで、そのハッチが破れて艦全体を危機に陥れることにもなります。「面倒くさい」を感じさせない動きをしている彼らの行動の背景には、ひとつの油断や「まあいいや」「面倒くさい」という感覚での行動が、艦を沈めることにつながることをその場で意識しているかどうかは別にして、これまでの訓練、経験を通して沁みついていると感じられました。もちろん、「かとり」に乗り組みなる海曹、海士諸氏は、各艦から選ばれてきた者が大半であるため、意識は高いものとは思われます。そんな彼らと、ひとつひとつのことに「面倒くさい」を感じてしまっている自分自身とは、何が違っているのだろうかと真剣になって考えました。当時のことを今思えば、実習幹部という立場であって艦での経験の少ない私は、まだまだ意識が甘かったということなのだと思っています。そんな自分の中にある気持ち、思いについて、今後の自分の立場や役割を果たす上で、自分の意識の中でどこかで決着をつけなければいけないことがあるように思われ、非常に恐ろしいことと感じたものでした。

 それ以降、こんな気持ちは、私が艦船勤務をしている間はずっとついて回ってきたことでもあり、結果として何か決着がついたと感じたことはありませんでした。甲板のペンキ塗りをしている時、弾薬搭載(陸揚げ)をしている時、上甲板における不具合事項を一つ一つ確認して歩いている時など、どこにいても、黙々と、整斉と作業に当たっている乗組員(部下)の姿を通して、いつも自分の中の「面倒くさい」という意識とともに、それでも決められたことをきちんとやる、やらせようとする自分自身のあり方をふりかえることとなっていたと、今になって感じているところでもあるのです。

 

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