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第2回:やめさせるための研修

弊社のメルマガに「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を掲載してすでに90回を数えています。私が海上自衛隊を退官して、この教育、研修という領域で仕事を始めて今年で30年になります。「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」はこのまま続けさせていただくとしても、今回、私のこれまでの企業における教育、研修を通しての30年間で起こったこと、見聞きしたことなどの中で、みなさまのお役に立つであろうと思われるできごとをお伝えできればと考えています。「海軍におけるマネジメント」同様に、私のこれまでの体験、見聞きしたことや考えたことを、特に明確な意図なく、何とはなしに書いてみたいと思います。

私がまだリクルートの時代に、名古屋の営業マンから、ある企業の人事管掌の取締役(専務)から話をしたいので来てほしいという依頼がありました。私もまだ3年目から4年目にかけての頃で、東京での仕事もあまり多くないため、喜んで名古屋に行きました。その企業というのは名古屋、大阪地区に小売りの店舗展開をしておりますが、相談されたのは次のようなことでした。

専務:「店舗開発のベテラン社員の中で、会社の新しい方針を理解せずに、勝手に動いている者がいるんです。全員がマネジャー職から降格された者たちです。勝手に動いて成果を上げてくれればよいが、長年の垢がたまっていて、モチベーションも下がっていて、若手社員にも良い影響を与えておらず困っているんです。」
私:「そうですか、それで今回どんなことができればよいのでしょうか…」
専務:「8人のメンバーを集めますので、やめてもらうようにしてほしいのです」
私:「エッ…、何ですか、やめてもらう。それなら退職勧告すればいいではないですか」
専務:「それができないので、自主的にやめるように仕向けてほしいということです」
私:「うーん、それは無理ですね。少なくとも私にはできないのでお断りします」
専務:「まあ、そう言わずにもう少し話を聞いてください」

ということで、とりあえず30分くらい、専務の愚痴とも言い訳とも取れない話を聞いていました。専務の言うことにも一理二理はあると思えます。しかし、私にはやれる自信もなければ、やりたいとも思いません。専務の話をよく聞いていると、それぞれは決して能力がない方々ではなく、何らかの原因があって力を発揮できていないと感じることができました。当の専務自身がどのように感じているかということもわかりました。そこで、相手がNOと言うであろうことは想定しつつ、

私:「では、研修を受けて行動が変わった人がいたら、マネジャーとして復活させると約束してもらえませんか、行動が変わるための研修なら私にもできると思います」
専務は、「うーん…」と言ったまま黙ってしまい、しばらく遠くを見つめるようにして固まっていました。私が、「いかがですか…」と催促しても返事がありません。
5分くらいしてから、専務が口を開きました。

専務:「わかりました、おっしゃることはそのとおりですが、会社として問題と認識していることに変わりはありません。私だって彼らをただやめさせたいと思っているわけではなく、役員会でそのような方向性の話になったので立場上お願いしたのですが、言われてみればそのとおりだと思います。」
「ところで、8人のうち何人くらい行動が変わると言えるでしょうか」
私:「それはわかりません。8人全員かもしれませんし、ゼロかもしれません。1人かもしれませんし、3人かもしれません」「ただ、折角これまでこの会社で頑張ってきた方々を、みすみす辞めさせるのはもったいないとは思いますので、可能性にはかけてみたいと思います」
専務:「わかりました、では、その方向でお願いします。役員会には私が説明します」
私:「本当によろしいですね。専務の目で見て変わったと思う人は復活させてくれるんですね」
専務:「それは約束します。しかし何とか1人で良いのでそんな人が出てくれることを願っていますから、よろしくお願いします」
ここで話は終わりました。

研修当日、私が指定の会議室に入ってみると、すでに8名の方々が集まっていました。会議室に大きなテーブルがあって、そこに8名が左右4名ずつ座っていました。当時の研修はプロジェクターなど使用せず、すべて紙ベースの解説資料やワークシートを使いながらの研修ですから、私はすぐに営業担当者とともに資料の入った箱を開けて準備に取り掛かりました。受講者の8名は互いに顔見知りのようではありますが、会話をする雰囲気はなく、みな一様に押し黙っています。どうも妙な雰囲気ではありますが、私があれこれ詮索しても始まらないので、さっそく研修を始めることになりました。私がテーブルの一番奥のいわゆる「お誕生日席」について、「みなさん、おはようございます。紺野と申します。本日1日よろしくお願いします」と言って、オリエンテーションとしての話を始めようとしたときに、私から一番遠くの席に座っていたKさんが、「ちょっといいですか…」と言って立ち上がりました。私は何が始まるのかと思いましたが、「どうぞ」と言ってKさんの発言を促しました。

Kさん:「先生わからないと思いますが、私たちこのメンバーを見たら、何でここに集められたのかはすぐにわかります、みんなそうだろ…」
私:「はあ、そうですか、それで…」
Kさん:「会社が何を意図して集めたのかはわかりきったことで、こんな場所に私は1分でもいたくありません」
私:「はあ、そうだったらどうなんでしょうか…」
他の7人を見回しながら、
Kさん:「みんなもそう思っているんじゃないのか、こんなところで1日過ごしても意味はない。私は帰らせてもらいます」
私:「そうですか、仕方ないですかね。少し私の話を聞いてはくれませんか」
Kさん:「聞いたところで意味はありません、私は帰ります」
しかし、他の7名の中にすぐにKさんに同調する人もいないようです。みな、下を向いてしまって黙っているだけです。Kさんは机の上に出していたペンをケースにしまい、資料はそのままにして、入口のほうに向かって進みました。ドアのノブにKさんの手がかかったところで、
私:「あのおー、すみませんが、ちょっと待って…」
「バス代か、電車代かわからないけど、せっかくここまで来てもらったのに、このまま帰るのはもったいなくないですか。せめて、私の話を聞いてから、あるいは午前中だけここにいて、あまり意味がないと思ったら帰るのも良いと思うけど、まずは少しだけでもここにいてみたらどうですかね…」
しばし、沈黙が続きました。Kさんはドアノブから手を放さずに、こちらを見たり、他の7人を見たり、壁にかかった時計を見たりしています。
私:「どうですか、もう一度席についてもらえませんか」
そういったときに、Kさんの近くにいた2人の方が、「そうだよ、俺もそんなふうに思ったけど、とりあえずいてみようと思っている。せっかくだからもう少し見てからにしよう」と言ってくれました。それを聞いたKさんは、不服そうな顔を見せながらも席に戻りました。

研修はここからスタートしました。未熟な私としては、さて何をしたらよいのかもわからずに、まずは予定された流れに沿って研修を始めることとなりました。しかし、始まってみると、Kさんをはじめ多くの受講者の方々が、思ったことを率直に言葉にする、講師である私の言葉にも真摯に耳を傾ける、更にはわからないことは素直に質問をする、などなど、非常に進めやすい状況で研修が進行していきました。お昼休みになり、「午後は1時から始めますがよろしいですか」と聞いたところ、みなさん了解して昼食になりました。昼食は会社がお弁当を用意してくれていたので、全員で一緒に食べたのですが、朝の沈黙がうそのように、それぞれの近況や研修で出た内容についての自らの体験談などを語る姿に私は驚かされました。Kさんには私からは何も言わずにおりましたが、みなさんと一緒に昼食をとり、そのまま帰ることなく午後からも研修に参加しました。
午後からも同様の雰囲気の中で研修が進められ、午後5時に予定どおり終了しました。当時の私も未熟なもので、一人ひとりの感想を聞こうなどとする余裕もなく、最後のあいさつをして研修を終えることとなりました。8名のみなさんは、それぞれにあいさつを交わすとともに、私に対しても、「ありがとうございました」とお礼の言葉を述べて退出していきました。Kさんは最後まで残っていて、私に対して何か言いたげではあったのですが、私も何かを聞こうとする意図も持てないまま、あいさつだけをして別れてしまいました。私の中では、どこか完結しないドラマを見た後のような物足りなさが残り、何とも言いようのない気持ちになっていました。

それから1か月が過ぎたある日、その会社の専務から連絡をいただきました。その内容は、先日の研修に参加した8名のうち2名を来月付でマネジャーに再度昇格させるというものでした。そのうち1名は例のKさんだったのです。そして、次の言葉が付け加えられていました。
「今回は人数の制約もあり2名の再昇格にとどめたが、あと2名、半年後に再昇格を予定している。他の4名についても、退職ということは考えずに、今後の動き方を見て昇格も含めて検討する。」というものでした。

この経験は私に多くのことを教えてくれました。ひとつは、いかにお客様が求めることであっても、自分の基準で判断してはっきりと自分の意思を伝えることで、わかってもらえることがあること。また、研修の中で私が何か特別なことをしたわけではありませんが、研修のプログラムを通じて一人ひとりと本気で対峙することで、受講した方々が自分で考え、自分で結論を出して自身の動きを決めてくれたこと、それが大事なことであり、それ以外に有効な方法というものはない、ということでした。

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