第3回:壁打ちの壁 « 個人を本気にさせる研修ならイコア

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第3回:壁打ちの壁

弊社のメルマガに「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を掲載してすでに90回を数えています。私が海上自衛隊を退官して、この教育、研修という領域で仕事を始めて今年で30年になります。「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」はこのまま続けさせていただくとしても、今回、私のこれまでの企業における教育、研修を通しての30年間で起こったこと、見聞きしたことなどの中で、みなさまのお役に立つであろうと思われるできごとをお伝えできればと考えています。「海軍におけるマネジメント」同様に、私のこれまでの体験、見聞きしたことや考えたことを、特に明確な意図なく、何とはなしに書いてみたいと思います。

みなさん、「壁打ちの壁」ってわかりますか。イコアの中では、時々、「ちょっと提案内容について迷っているので、『壁打ちの壁』になってください」などと話をしている場面に出会います。在宅勤務が継続している最近では、敢えて時間を取らないとできないこともあってその頻度が減っているかもしれません。『壁打ちの壁』とは、もともとテニス等のスポーツで壁に向かって一人でボールを打って練習する際の壁のことを言ったものと思われます。しかし、それが転じて、仕事における考え方や方向性、計画などについて、誰かに話を聞いてもらいつつ説明をすることで、相手の反応などから自分の考えを自分自身で見直すという意味で使われているのだと思います。私は以前ある企業の研修において、その「壁打ちの壁」を見事に果たされている方にお会いして驚いたことがあります。今回はそのお話をしてみたいと思います。

北九州に本社のある生活関連機器メーカーのある事業部において、部長研修が行われていました。事業部を管掌する副社長の直接の指示で行われた研修であり、何度も部長や工場長などの幹部を集めて行われていました。その2回目くらいの頃であったと思いますが、研修実施の数日前に受講者である開発部門の部長Tさんから私に電話がありました。
「私の部に、次長という肩書のAさんという方がいて、今回の部長研修にAさんを参加させて良いか」という確認であったのです。私は参加することに問題はありませんが、何か理由(わけ)があるのですか、と聞いたところ、Tさんからは次のような回答がありました。
「Aさんは、もともと私の先輩であって、技術力が極めて高く、皆から敬愛されていた方であり、本来なら今頃、事業部長レベルになっていてもおかしくない人材なのです。しかし、40歳を過ぎてから病気で聴覚に障害が出てしまい、それまでのような業務遂行に支障が出たため、現在は私の部で次長という肩書で若い社員の技術面でのサポートをする存在となっています。前回の研修を受講して、あの内容だったらAさんにも一緒に受けてもらって、今後の社員の育成に活かしてもらいたいと思っています。ただし、紺野さんの話をAさんは自分の耳で聞くことはできないので、私が隣でメモをして彼にその内容を知らせながら進めます。話すことは40過ぎまで普通にできていたので、多少不自由さはあるものの意思疎通ができます。事務局にはお願いして了承されているので。」ということでした。

私はもちろん「わかりました」ということで、1泊2日の研修に、TさんとともにAさんも参加することになりました。とはいったものの、私の中では初めての経験であり、どうやって研修を進めたらよいのか、どのような方法が一番効果的なのか、あるいは、他の受講者のみなさんの学習を制約することにならないのか、といったことにいろいろと心配したことを記憶しています。Tさんが隣でメモをして内容を伝えるとは言われたものの、そんな容易なものではないとも思われます。さまざまに方法は模索しながら事前の準備はしており、話す内容はいつもどおり一度原稿にしているので、それをAさんに見てもらいながら進めてみようかとも考えたり、自分なりにもいつでもAさんと筆談で対話ができるようにメモ用紙を準備したりしていました。とはいっても、まだお会いしていないAさんについては、「突然の病気とは言え大変だな…」とAさんを少し気の毒に思ったり、Aさんをフォローして研修に参加してもらおうとしているTさんの思いに感じ入ったりしていましたが、当日の朝になるまで、私自身不安な気持ちを持ちながら逡巡していたことを思い出します。

研修当日、研修会場に入ってみると、Tさんの横にAさんが座っていて、Tさんの机の上にはメモに使う、昔よく見られたプリンター用の再生紙のようなものが置かれていました。私も悩みつつではあったものの、それなりの準備もしていたこともあり、Aさんにメモ用紙を使いながらあいさつをして、普段のときと同じように研修を始めていきました。

Aさんは、耳が聞こえないとはいうものの、前で話をする私の一挙手一投足なのか、あるいは唇の動きを見ているのか、真剣にこちらを注視しているように見えます。Tさんはというと、私の話をAさんに一言一句伝えようとしているかの如く、必死にペンを走らせ、私の言葉をAさんに理解させようとしています。その二人の姿を見ていると、私の中に、それまでの不安な気持ちはなくなってしまい、彼らにしっかりと理解してもらおうとする気持ちに集中していたように思います。途中からTさんがメモをしやすいように、極力短い言葉で、わかりやすく、そしてゆっくりと話そうと無意識ではありながらも心掛けていたように思いますし、区切り区切りのところで、理解できているかどうかは別にして、Aさんに語りかけるかのごとく話し、その反応を確認しました。Aさんは、大変さわやかにその都度笑顔で反応を返してくれています。大きくうなずいたり、Tさんの書いたメモを見て、私に指でオーケーサインを送ってくれたりしていました。最初の休憩時間に、TさんとAさんに様子を聞いてみたところ、「大変にわかりやすい話です」とほめていただきました。反対に、他の受講者の方に「少しゆっくり過ぎますか?」と聞いてみたところ、違和感を持っている方は一人もなかったようでした。それどころか、「この調子でお願いしますよ」「前回よりわかりやすいな…」などという声までも聞かれました。私は、ますますわかりやすさを意識していったように思います。驚いたことに、耳の聞こえないAさんがいることによって、講師としての私は、全員の受講者にとって、大変わかりやすい解説や案内をすることになっていたことにあらためて気づかされました。

私にとっては、ここでまず最初に本来とは異なる意味かもしれませんが、Aさんの存在が「壁打ちの壁」となって、私の講師としての質を高めてくれていることを意識したところでした。
Aさんの表情や対応にはまったく暗さも後ろ向きなところはなく、非常に前向きでさわやか、というのが私の1日の研修後の印象であったのです。そして1日目の研修が終了した後に、私はAさんといろいろと話しをする機会があったのですが、その時にさらに驚いたことがありました。

Aさん:こう見えても私、結構役に立つんですよ。
私:そうです…、よね…。ですよね…。
Aさん:うちの若い社員は、耳が聞こえない私に質問をしたり、確認をするためには、目の前に紙を置いて行うこととなります。これが大変良いことだと思っているんですよ。
私:そうですよね、冒頭で私が野中郁次郎先生の「暗黙知」と「形式知」の話をしましたが、まさにそのことですよね。
Aさん:ですから、耳の聞こえない私を相手に、自分で紙に書いて説明する、質問するということが大変大事なことだと思っています。こんな私でも結構役に立つと思いませんか?
私:
もちろん思います。そうですけど、それはAさんの耳が聞こえるとか、聞こえないとかには関係なく、Aさんを相手にして、彼らが勝手に考えて自分なりの結論を出すということですよね。そのプロセスにおいて、Aさんの存在が大きく役に立っているということなんですね。
Aさん:もちろんそうですけど…、昨日のことですが、面白いことがあったんですよ。
私:
何ですか…? なんですか…?
(思わず私は興味津々身を乗り出してしまいました)
Aさん:
同じように一人の若手社員が私のところに来て、『相談があるのですが、いいですか』と言ってきました。彼は、私の前に座って質問したいことをいつものように紙に書き始めました。私が見ていても、何を聞きたいのかよくわからないのですが、しばらく書いたり消したりしながら、彼は私の顔を見ています。私も良くわからないので、十分な反応も返すことなく見ていましたが、更に書いては消し、書いては更に書き足して、紙の上はぐちゃぐちゃと言える状態になってしまいました。15分ほどそんな時間が経過して、私はいったいどうするのかな、とやや不安になったときでしたが、彼が突然、『わかりました』、『そうですよ、そうですよ…』と言ったようでしたが、紙の下の部分に結論を書き始めました。それを見て私はびっくりしました。これまで紙に書いて私に伝えたかった質問や疑問に対して、自分自身で答えを出して、それを的確な表現で書き記したのです。そして、これまた突然に、私の顔を正面から見据えて『本当にありがとうございました。よくわかりました』と言って、私の前を離れて自席に戻っていきました。私は、「おいおい、本当にそれでいいのか」と確認をしたかったのですが、彼は笑顔いっぱいで自席に戻っていったのです。いかがでしょう、私って役に立つでしょう。
私:
恐れ入りました。すごいですね。

これで、この話は終わりましたが、これまで私自身も上司として、はたまた一人の講師として社員から相談を受けることが多くありましたが、その時の自分の対応を思い起こしてみました。私自身は良かれと思って行っていたことであっても、当人にとってあまり必要ではないことまで話していたように思います。ただ、知識を披歴してみせただけだったり、上から目線とでもいうかのごとく自説をぶってみたりして、相手の考えるペースやその理解度に本当に関心を持っていたのだろうか、ということをあらためて考えざるを得なくなってしまいました。もちろん当人になかった新たな観点や考え方を示すことは必要かもしれませんし、彼らの頭にない知識を提供することにも意味はあるかもしれませんが、それ以上に、彼ら自身が自分の頭で考え、障害や矛盾にぶつかりながら自分で解決策を探っていくというプロセスをどのくらい促進できているのだろうか、ということを本気で考えるきっかけとなったことを、Aさんとの出会いで私が本気で考えるようになったことは間違いのないところでした。まさにAさんは、部署の社員に対してだけでなく、講師である私に対しても『壁打ちの壁』になってくれていたのでした。

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