第64回:「戦闘配食」 « 個人を本気にさせる研修ならイコア

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パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
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第64回:「戦闘配食」

※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を
復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
以前に書いたものではなく、海上自衛隊退官後24年を経過してしまいましたが、
現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、
今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしました。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、
主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいります
のであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

 護衛艦の中では訓練のひとつとして「戦闘配食」というものが行われます。戦闘が継続して全員が戦闘部署についたままで食事をとる訓練のことです。自衛隊では飯を食うことすら訓練になるのです。敵の攻撃が予想される場合や、こちらが潜水艦等を追尾した状態でいつでも攻撃に移らなければならない状態が長時間続く場合、戦闘配置のままで調理員が可能な範囲の食事を作り、各部署において全員が食事をする訓練なのです。艦には非常用糧食としてカン詰や乾パンなどが常備されていますが、これらを古いものから適宜消費して、不必要に廃棄することのないようにすることも目的のひとつにあるとは思いますが、基本的には、いつでもどのような状況でも、乗組員に食事の機会を提供することができるようにするものなのです。戦闘や被害の状況に応じて、おむすび弁当のようなものから、カン詰だけの場合もあり、最後には乾パンと飲み物だけという場合もあります。実は私は海上自衛隊の赤飯と牛肉のカン詰は非常に美味であると感じている一人ではあるのですが。調理室から食事を配ると言っても、戦闘配置においては、艦内は非常閉鎖という状態でドアやハッチは全て固く閉ざされています。これは、敵の攻撃により被害を受けた際に、被害範囲を極限するために区画ごとに閉鎖して他の区画に火災や浸水の被害が及ばないようにするためでもあります。このため、食事を配り、受け取るにも、ドア、ハッチを開放する時間を極力短くすることが必要であり、号令により決められた時間だけ一斉に開放して、その間に配る、受け取るということをするためのものでもあります。

 それは私が航海長として初めての戦闘配食の訓練でのことでした。護衛艦「なつぐも」航海長であった私は、戦闘配置では艦橋(ブリッジ)で、艦長の戦闘指揮を補佐しながら艦の針路、速力を適切に維持し、また変更するのが役割です。また、艦が被害を受けた場合の最終的な状況把握も当時は艦橋で行っていましたから、これも航海長として視野に入れながら判断し、艦長を補佐しなければなりません。「戦闘配食用意」そして、「戦闘配食受け取れ」の号令がかかり、食事が運ばれてきます。その日はカン詰の赤飯と牛肉で、艦橋でもカン詰が配られています。航海科の先任海曹として私を直接補佐してくれているベテランの信号員長のT1曹が、私の分を用意して目の前の運動解析盤の上に置いてくれました。私は、救命胴衣の上から無電池電話の送受信機をつけたまま、7倍の双眼鏡を首にかけて立ったままでいます。これだけでもかなり重く窮屈でもあるのです。防衛大学校入校以来培ってきた基本的な考え方としては、まず部下全てに食事が行きわたり、彼らが食べ始めていることを確認しなければ幹部としては自分の食事には移れないと思っていました。艦橋の外にいる右(左)見張りや、ここからでは見えない艦尾にいる後部の見張り員にまで行き渡っているのを確認するために待っていました。余談ですが、今でも私は企業研修の講師として仕事をする際には、昼食等のお弁当などが受講生全員に行き渡ったのを確認してからでないと自分の食事はできないのですが。

 その時、信号員長T1曹が、「航海長早く食べてください」と言うのです。私は、「全員が受け取ったのを確認したら食べるよ」と言うと、

T1曹:「何を言っているんですか、そんなことは私がやりますから早く食べてください、不足があれば私が対処するし報告もします」

ときっぱりと言ったのです。更に、

T1曹:「艦長に代わってこの艦を動かしているのは航海長のあなたです。航海長が食事もしないままに敵の来襲があったりして、空腹で判断が鈍って間違いをすると、本艦の乗組員100数十名の命が危険になるではないですか。信号長の私を信じて食べられるうちに早く食べてください」

 私は、「そうだね、良くわかった」と言ってそのまま箸を取りました。見ているとT1曹は一人ひとりの状況に目を配りながら、時折海図台に戻ってそこに置いてある赤飯を口に運んでいました。部下を持つ一人の指揮官の立場としては、それまでの私の考え方そのものは、それはそれで正しかったとは今でも思っています。しかし、それだけが正しいことではないということをこの経験は教えてくれました。原則論はあるとしても、航海長として現在置かれた立場と役割、それから戦闘配置という状況に照らせば、T1曹の言うことはそのとおりだと思いました。まだ26歳になるかならないかの新米航海長でしたが、そのような諸々のことも、その時々の経験、そして先達の言葉によって、ひとつずつ自分のものになっていったのだと思っています。

 

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