第85回:魚雷揚収訓練 « 個人を本気にさせる研修ならイコア

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パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
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第85回:魚雷揚収訓練

※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を弊社のメルマガに復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、現在私が思い起こし感じていることを書かせていただくこととしました。私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、主に海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)。

今回は、第50回「弾着観測実施できず」で書いた、対潜ヘリコプターで護衛艦の弾着観測を実施した話の続編というべきものです。第50回のコラムを載せたメルマガが皆さんのお手元に届いた頃に開かれたクラス会で、弾着観測のために飛んできてくれたY2尉(当時)と飲んでいてこの話を思い出しました。例の護衛艦「きたかみ」の射撃訓練における弾着観測は、第32護衛隊が大湊航空隊に依頼したことですが、その反対のことが起こったのです。前回の話が昭和57年2月頃の話だったのですがその1年後のことです。大湊航空隊では、先の訓練幕僚I1尉は転出されていて、弾着観測に機長として飛んできてくれた同期のY2尉が、昭和57年7月に1尉に昇任して(ということは、私も1尉になっていたということです)、彼が大湊航空隊の訓練幕僚のポストについたのです。

翌昭和58年の2月頃であったと思いますが、大湊航空隊でもヘリコプターによる魚雷発射訓練を行うところでした。護衛艦から発射する76ミリ砲弾は実弾そのものなので、撃ったら撃ちっぱなしですが、魚雷はたとえ炸薬の入っていない訓練魚雷といっても高価なものであり、また、高度の秘匿すべき技術の塊でもあるため、訓練後には回収することになっているのです。護衛艦の場合は、自分で発射した魚雷は自艦で回収することで通常の訓練が行われています。搭載艇(小型ボート)で魚雷に近づき拘束して艦まで持ちかえり、クレーンで引き揚げるのは、冬場の寒い時期などには大変な作業ではあるのですが、それぞれの艦では当たり前のように実施していました。しかし、航空部隊の発射する魚雷については、その地区に在籍する支援船が行うのが通常のことだったのです。しかし、その時はどのような状況であったか記憶にありませんが、支援船による魚雷揚収の支援が得られないこととなり、大湊航空隊の訓練幕僚としては大変困ったであろうことは想像に難くありません。このままでは、訓練すべく調整を依頼している魚雷を発射できないまま昭和57年度を終えてしまうこととなります。

訓練幕僚Y1尉から私のところに電話で、護衛艦で航空隊のヘリコプターが発射する魚雷を拾ってもらえないか、という依頼がありました。私としては、弾着観測をわざわざヘリコプターで行ってもらった借りもあります。ましてや、その時に飛んできてくれた同期のY1尉ですから、心情的にもぜひ手伝いたい気持ちがあります。しかし、仕事を「私」の情で行うわけにはいきません。あくまで「公」の立場での検討が求められます。ヘリコプターが1機飛ぶのも大変なこととは思いますが、護衛艦1隻を動かすには、燃料代もかかれば、100数十名の乗組員が動くことにもなります。また、訓練魚雷の発射は、万が一沈んで回収できなくなった場合に、他国に引き揚げられる可能性のない水深1000メートル以上の海面で実施する必要があるため、むつ湾内で行うわけにもいかず、行動には2~3日の行程が必要となります。第32護衛隊隊付としては、安易に “Yes”と答えられる状況にはありません。大湊航空隊にとっても、だからといって弾着観測の実施のように、大湊地方総監に依頼して護衛艦を動かすということも問題がありそうなところです。

私はY1尉に対して、取り敢えず要望はわかったことを伝え電話を切りました。私も意を決して司令に相談をしてみましたが、隊司令も、わかったような、わからないようなところであり、困ったような顔をしていました。前回の話で弾着観測を大湊地方総監に直談判に行ってくれた司令は交代しており、8月に着任した司令でもあり、即断はしかねたものと思われます。私も、同期の頼みだからというわけにもいかず、どうしたものかと困り果てていたところでした。そのまま2日、3日が過ぎていきました。Y1尉からも催促の電話などもありません。当時のことですから、もちろんメールなどもないので、電話か直接足を運ぶしかないのです。しかし、世の中、人間関係とは大事なもので、かのY1尉、当然私の同期ですから、訓練幕僚としての立場もあり、かなり頻繁にわが隊(艦)に顔を出していたのです。私の帰りがいつも遅かったこともあり、航空隊からの帰宅時に立ち寄ることもあり、その時には司令からY1尉に「訓練幕僚、夜食でも食べていけよ」などとも言われていました。

そうしているうちに、司令から、「隊付、あの話はどうなった‥‥?」というご下問がありました。「あの話って‥‥?」私もとぼけてみましたが、何とかしたいことだけは確かでした。すると司令から、「おい、魚雷揚収の支援はできないが、訓練ならできるんじゃないか?」
私は、司令が何を言わんとしているのかがすぐには理解できませんでした。「訓練?」、「航空隊の発射する魚雷を拾う訓練とは?」何のことか、というところです。ところが次の司令の言葉に驚かされました。
司令:「昨日艦長に聞いたけど、わが隊でも今年度3回魚雷発射訓練をやっているが、『きたかみ』は1回も自分で魚雷を拾っていないらしいよ」というのです。
そうでした、いろいろな事情で、当年度の3回の訓練で、「きたかみ」の発射した魚雷は僚艦に拾ってもらっており、きたかみ自身では一度も拾っていなかったのです。
司令:魚雷揚収のような危険を伴う作業は、経験を重ねておくこと、そして、乗組員の中に一人でも多くそのノウハウや技量を蓄積しておくことが大事だと思う。大空が訓練発射の時機を当隊の訓練に合わせてもらいさえすれば、当隊の訓練として実施することは可能だと思う。
私:ありがとうございます。それで、やらせてください。
司令:お前のためにやるわけではないよ、「きたかみ」の練度維持が目的だから。

私の中には、隷下部隊の3隻の艦の状況については、自分では全てがわかっているといった自負がありましたが、それをタイムリーに情報として活かす柔軟な発想ができなかったのです。それをいともあっさりと上司である司令に指摘されてしまったような気がしました。
おかげで魚雷揚収は、支援ではなくわが第32護衛隊の訓練の中で、通常の訓練の一環として実施され、更に大湊航空隊からも、もちろん訓練幕僚Y1尉からも感謝されることとなり、めでたし、めでたしとなったのでした。

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