※弊社のメルマガに、以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、20年前に書いたものではなく、退職後29年を経過してしまいましたが、現在の私が思い起こして感じていることを書かせていただき、今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしております。前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。
また、名艦長K2佐(当時)の話になります。私が「あきづき船務士」として勤務していた2年目のことです。ある日の昼食後、艦長から「船務士」と声がかかりました。艦長に呼ばれたら、若手幹部としては、隣のテーブルから艦長の前に進み出ます。すると艦長は、
艦長:君は自分の部下を弟と同じに思っているか…?
と聞かれたのです。私は一瞬、何を聞かれているのかがわからずに戸惑いました。艦長からの唐突な質問はよくあることではあるのですが、「部下を弟と同じに思っているか」という突然の質問には、なんと答えてよいか本当に迷ったことを覚えています。とりあえず「はい」と答えることは簡単ですが、自分ではこれまで考えたことも意識したこともありませんでした。部下と言っても、もちろん18歳、19歳の若手隊員もいますが、自分より年長の者、更には40歳を超えた現場の大ベテランもいます。ましてや私は一人っ子でもあり、兄弟という存在そのものについての実感というものはありませんでした。そこで、答える前に、艦長に対して、
私:艦長、何かありましたか…?
と質問をしてみました。艦長は笑いながら、
艦長:何もないさ…、でも君には20名近くの部下がいるだろう。彼らを弟と同じように思っているのかどうかを聞きたかっただけだよ
私は、ますますわからなくなってしまいましたが、ここは答えるしかありません。そこで
私:はい、思っています
と答えました。すると
艦長:本当か?
といって私の顔を覗き込みます。
私:はい、思っています
艦長:そうか、それならいいよ…
それでこの会話は終わりました。
私が、艦長から呉の第3駆潜隊「おおとり」への異動の内示を受けたのは、その10日後くらいだったと思います。横須賀から呉の第3駆潜隊へ異動して新しい生活が始まりましたが、駆潜艇術科競技前の緊張した毎日の訓練の中で、私の中ではそのことをまったく忘れていたことと思います。駆潜艇術科競技も終わった秋になって、新隊員が各部隊に配属されてきました。駆潜艇「おおとり」の私の部署である砲雷科にも2名の新隊員が配属になりました。
彼らが乗艦して2か月だったか、あるいは3か月だったか経過したころその事件は起きました。新聞やテレビのニュースで、「元自衛官が…」「元海上自衛官が…」という表現に触れるたびに、「いちいち元自衛官と言わなくたって…」と言いたくなることも多くありますが、その時は、元自衛官ではなく、現職自衛官だったので大騒ぎとなりました。地方紙ではありましたが、朝刊の見出しに、「現職自衛官、民家に侵入」という文字が躍っていました。それも私の部下の19歳の隊員A君のことだったのです。要約すると、私の部下のA君が、未成年であるにもかかわらず、呉の町で一人で飲酒の上、民家の二階のベランダ部分に侵入したのです。当人も記憶が定かではないようでしたが、現場の状況から見て、電柱をよじ登るしか方法がなさそうでもありました。気が付いたら、その家の奥様がびっくりして警察に通報され、警察に連れていかれたということだったようです。
私自身後になって気づいたことですが、当人には不安も寂しさもあり、年長の先輩の下で、言いたいことも言えずにつらい思いをしていたのだろうと思いました。とはいえ、警察に連絡を取り、和歌山にいるご両親に連絡を取りすぐに呉まで来ていただくようにお願いをし、艇長と善後策について検討をしました。艇長には上級司令部の報告等に当たってもらい、現場は私が対応することとなりました。A君の両親もすぐに対応してくれ、その日のうちには呉に来てくれました。「民家に侵入」とはいっても、何か被害を与えたわけではなく、被害者宅の奥様を大いに驚かせただけで終わっていました。その日の夕刻に私が上司として警察に身柄を引き取りに行き、その後、両親と会って少し当人とも話をしてもらいました。お父様もお母様も、本当に誠実な対応をしていただき、若年の私に対して平身低頭してお詫びをしていただくのに恐縮したことも覚えています。その後、両親を伴って、被害者宅にお詫びに行きました。元々海上自衛隊には好意的な呉の街でもあるので、「どうなってるの海上自衛隊は…」とか、「何でこんなことになるの…、あなた上司でしょ…?」などなどの言葉は浴びせられましたが、それ以上のことはなく、両親もその場に手をついて謝罪をされるので、私も玄関で正座して手をついてお詫びをしたところです。
両親には、当面何日間かは外出もできなくなること、今夜は当人をこのまま艇(ふね)に連れて帰るので、最後に当人と少し話してもらった後でホテルまでお送りして別れました。本当にA君の両親の誠実な対応に救われた気がしたものでした。「おおとり」に帰る道々、私はA君の横顔を見ながら自分が大いに腹が立っていることに気づきました。そのまま帰ったら、私の手でA君を殴り飛ばしていたかもしれません。しかし、A君の横顔を見ながら私の頭に浮かんできたのは、「こいつも、寂しかったんだろうな…!、つらかったんだろうな…!」という思いとともに、あきづき艦長K2佐の言われた、「君は自分の部下を弟と同じに思っているか…?」という言葉でした。
そうです、このA君がもし私の弟だったとしたら、ここまでのことを私は兄貴として当たり前と思ってやっていたであろうし、もちろん腹が立ったり、手が出たりするかもしれませんが、それは弟に対する愛情の表れだったのかもしれない、と思いました。ただ、仕事だから、自分が上司だから、という役割意識だけでやっていたのでは、自分自身にとっても負担が大きくなるだけで、A君にとっても、ただ叱られる、ひどい扱いを受けるという被害者的な気持ちしか呼び起こさないのではないか、と強く感じました。「おおとり」に帰ってから、私はA君の話を聞いてその日は休んでもらいましたが、当人にとっては、自分がしでかしたこととはいえ、相当にショックだったようです。しかし、私は、あきづき艦長K2佐が私に伝えようとしたことを胸に刻み、その後の彼と対面できたように思っています。以後、数々の護衛艦部隊での勤務、防衛庁海上幕僚監部人事課での勤務、護衛艦隊司令部での勤務を通じて、そのことの意味を考えながら過ごすこととなりました。海上自衛隊を退官してからも、そのことはいつも私の意識の中に浮かびながら仕事をしていたことと、今になっても感じています。