第76回:米海軍に学んだこと « 個人を本気にさせる研修ならイコア

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紺野真理の「海軍におけるマネジメント」(艦隊勤務雑感)
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第76回:米海軍に学んだこと

※弊社のメルマガに以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
20年前に書いたものではなく、退職後27年を経過してしまいましたが、
現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、
今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしております。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、
主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいります
のであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

 前回の続きとして、「UNITED STATES is No.1」と言い切る米海軍のOFFICER君の自信というか厚かましさについて前回書きましたが、その根拠と言えるかどうかは別にして、私が彼らから学んだことについて今回は書いてみたいと思います。私が海上自衛隊に勤務していて驚くことはたくさんありましたが、米海軍とのかかわりを通して感じられたことがその一つではあるのです。旧日本海軍は、創設以来英国海軍から指導を受けたこともあって、基本的な仕組みは英国式だったのですが、海上自衛隊はそんな旧海軍の伝統を受け継ぎながらも、米海軍の影響下で発足して、その絆を深めながら発展をしてきました。現在は私が退職したころに比べて格段にその関係性は深まっていることであり、状況はもっと変わっているとは思いますが、私が知り得た範囲のことで書いてみたいと思います。

 私が、最初に驚いたのは、最初の勤務である護衛艦「あきづき」の時のことです。「あきづき」は、以前にも書いたとおり、当時護衛艦隊旗艦であり、米海軍第7艦隊旗艦であった巡洋艦「オクラホマシティ」とはシスターシップという関係にあり、私が連絡将校の役割を持たされていました。その調整相手はR君という私と同年齢で同じ通信士という職務にある男でした。1年半の勤務中、毎週のように横須賀の街を飲み歩き、休日には海に行ったり、厨子にあった彼の下宿で飲んだりしたものでした。非常にまじめな男でしたが、飲むときは徹底的に飲むという付き合いも良いR君だったのです。親しくなって飲み歩いていた頃なので、私が2年目の船務士になっていたころと思います。「今夜は徹底的に飲むぞ……」と2人で言い合って、飲み始めて2件目の店で3時間ほど経った頃、彼が急に、「俺、帰る……」と言い出したのです。私は、「おい、明日は休みだから、朝まで付き合うって言っていたじゃないか?」と言うと、「申し訳ない」「申し訳ない」と連呼しながらも、「今週中に読んでおかなければならない本をまだ読み終えていなかった」と言うではないですか。その当時、彼の意識を十分に理解できていたわけではありませんが、どのような状況でも自分の決めたことはやろうとする彼の姿勢に、驚くとともに、どこかで、自分にはできないことと感じていたものでした。

 それから、1年半後、護衛艦「なつぐも」航海長として勤務していた時のことです。第1護衛隊群は、米海軍との定期的な協同対潜訓練を実施していました。横須賀に入港後事前研究会が行われ、各指揮官以下私たちも参加しました。研究会は、第1護衛隊群の首席幕僚の司会で進行し、いつもどおりさまざまなEXERCISEについて、担当部隊、艦からの発表とともに質疑が行われました。そのころの海上自衛隊における常識では、各指揮官は出席しているものの、その発言は最後の所見等に限られており、実際の討議は各隊、各艦担当幹部のレベルで行われており、各隊司令、艦長で実際の訓練の内容にまで踏み込んで熟知している方は少なかったかと思います。しかし、ある対空射撃訓練の実施要領についての質疑の中で多くの質問が出始めて、担当の米艦幹部が説明に窮する場面が生じたのです。「どうするのかな」、と見守っていると、私の前に座っていた当該艦の艦長(若い中佐でした)が、やおら立ち上がって、「私が説明しましょう」と言って、計画の補足的な事項から訓練の細部、そして評価、判定要領についてまで、何も資料を見ずに自分の言葉で述べていったのです。すると、他の米艦の艦長からも、その説明に対する鋭い質問が飛び、相手も本気で答える場面が続けて見られました。これには日頃の海上自衛隊における済々としつつも、淡々とした予定調和的な研究会に慣れていた私には、大変なことのように感じられました。指揮官自らがここまで本気で意見をぶつけ合うこともさることながら、計画の細部まで互いに熟知しており、自分の言葉で語ることができることに、当時の海上自衛隊ではあまり感じられなかった「米海軍の強さ」についての本質を見たといったところだったと思います。

 更に、その8年後くらいだったでしょうか。護衛艦「はるゆき」の水雷長時代でしたが、3月に着任後ほどなくして、第1護衛隊群はRimpac86に参加しました。この時の状況については、第13回「近代戦(洋上での戦い方)」において述べたとおりであり、米海軍及び英国、カナダ海軍との協同訓練というものは、それまでの私の想像を超えたものがあり、特に、空母と行動を共にした期間においては、それはそれは驚くとともに緊張感の高い毎日の連続であったことを思い出します。それとは別に、年次検査のため浦賀の造船所での修理中に、呉の潜水艦教育訓練隊で、潜水艦の若手幹部のための「ソーナー講習」が行われるという案内が来ました。講師は米海軍から派遣された潜水艦乗りの大尉君だったのですが、護衛艦隊司令部としても護衛艦部隊からオブザーバーとして参加させたいとのことで、修理中のはるゆき水雷長である私に声がかかったのです。参加者は2尉あるいは1尉の若手どころであり、当時3佐に昇任していた私から見るとかなり若い後輩諸氏がほとんどでした。護衛艦隊司令部からのオファーでもあり、私自身米海軍の潜水艦オペレーションに非常に興味もあったため、幹部学校指揮幕僚課程(専攻科課程)受験直前の身ではありながら自ら手を挙げて参加しました。土日をはさんで2週間、呉の潜水艦教育訓練隊で寝起きをすることとなりました。ソーナー講習の内容としては、米海軍の潜水艦の音響機器や戦術についての技術的、戦術的にも興味深いものばかりでしたが、それ以上に私を驚かせたのは、講師であるその大尉君、私より5歳年下であったと記憶していますが、講義の合間、合間に、参加している海上自衛隊の若手幹部に対して、こう言うのです。“You must have big picture” “Young officer must have big picture”
あまりに何度も繰り返してこの言葉を口に出し、ただ口にするだけではなく、大きな声で自分自身に言い聞かせるように繰り返したものでした。おそらく、彼自身も上司なのか、先輩なのか、あるいは信頼する方から言われ続けてきたのでしょうが、腹の底から語っているその声と姿に、私自身米海軍における将校(士官)の強さの本質のようなものを見た気がしたものでした。

 私自身が米海軍とかかわる機会を持ったのは、最初の「あきづき」、それから「なつぐも」、そして「はるゆき」と続きましたが、最後の護衛艦隊司令部での幕僚勤務の折には、より高い立場で米海軍とかかわることができました。当時私も2佐に昇任しており、米艦に乗艦して訓練視察、訓練協力と称しての情報収集を行うことも多くなりましたが、その頃は、通常のフリゲートや駆逐艦においては艦長(Commanding officer)と同じ階級でもあり、以前とは待遇も扱いも格段に違ったものでした。しかし、「あきづき」から護衛艦隊司令部までの勤務を通じて、私が一番印象に残っているものに、“This is my  duty”という言葉あります。彼らは様々な場面においてこの一言を口にします。「お疲れ様」とねぎらいの言葉をかけると“No problem, this is my duty”と返ってきます。困難なミッションを依頼する際に、「これは難しいけど、大丈夫かな……?」という意味の言葉を投げかけても、“No problem, this is my duty”ときます。dutyという単語をどのように訳すかは難しいものがあるとは思いますが、私には、どんな場面においても、「なんてことないさ、これが俺の仕事さ……!」というふうに聞こえたものでした。将校、下士官を問わず米海軍の多くの軍人が当たり前のように口にするこの言葉には感銘を受けたものでした。海上自衛隊を離れた今でもそれは私の耳に鮮明に残っており、現在の仕事においても、自分の役割を果たす責任感という意味では重要な要素ではないかと考えています。この一言の中にも、これまで感じた米海軍の強さの神髄といったものがあるように感じたものでした。

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