第31回:敗戦の記憶 « 個人を本気にさせる研修ならイコア

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パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
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第31回:敗戦の記憶

※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を
復刻版としてメルマガに載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
退職後19年を経過した現在の私が当時を思い起こして感じていることを書かせて
いただきました。これまでのものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きした
ことを、特に明確な意図というものはなく、何となしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、主に艦「ふね」
(以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)や
海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

尖閣諸島をめぐる中国、台湾との問題、竹島をめぐる韓国との問題、北方領土を
めぐるロシアとの問題など多くの領土にかかわる問題が取り沙汰されています。
国家とは国益を追求するものであること、国益追求のためにはさまざまな手段を取る
であろうことを認識しておくことが必要と思われます。「平和と水(空気)はただで
手に入ると思っている日本人」などと揶揄されることもある私たちの国「日本」が、
世界からどのように見られているのかということを、私たちがしっかりと目を向けて
おくことは、グルーバル時代と言われる今日だからこそ必要なことではないでしょうか。
現代の日本人が忘れてしまっていることでも、相手は忘れていないということが
いろいろとあるということを今回は皆様とともに確認してみたいと思います。

それは、私がまだ25歳の時、広島の呉を母港とする駆潜艇「おおとり」(今はなき
400トン程度の小型艦)に勤務していたときのことです。「監視(サーベイランス)
行動」といって、呉の部隊では対馬海峡における情報収集の任務がありました。1隻の
護衛艦や駆潜艇などが、10日から2週間程度対馬海峡にとどまって、航行する対象国
(当時はソ連、中国、北朝鮮など)艦船の動向を監視するとともに情報収集を行うもの
です。北の海では宗谷海峡において同様に監視行動が行われています。7月の初旬、
私の乗る「おおとり」が任務について1週間ほど経った頃だったと思います。黒海艦隊に
所属する新鋭のソ連(当時)艦隊の一部が極東に回航されるという情報があり、
緊張して待っていたことを覚えています。当日3隻の新鋭艦を基幹とするソ連艦隊が
接近してきました。当然「おおとり」は可能な距離まで接近して写真に収めたり、
スケッチをしたり、輻射される電波を確認したりするのですが、その際、艦橋
(ブリッジ)で当直にあたっていた私の目に、驚くべき光景が目に入りました。それは、
艦の舷側に白い制服を着た乗組員が艦首から艦尾まで整然と整列しているではありま
せんか。双眼鏡から目を離して椅子に座っている艇長(10年先輩でした)の顔を見ると、
艇長は「お前、何かわからんのか‥‥?」と聞かれました。もちろん、私にはわかりま
せんので、首をかしげながら「わかりません‥‥」と答えました。すると艇長の口から、
「ここをどこだと思っているんだ」という質問が出されました。「ここ、どこ‥‥?」
と反芻した私の頭に浮かんだのは、「ここは、対馬海峡東水道‥‥!!」

みなさんには、この会話の意味とそれまでの状況がおわかりになりますか。
もし、おわかりになる方があったとしたら、日本人としては稀有な存在とも言える歴史通
ですね。そうなんです、ここは対馬海峡東水道だったのです。明治38年(1905年)5月
27日、当時世界最強と言われた帝政ロシア海軍のバルチック艦隊を、日本の連合艦隊が
洋上での決戦でほぼ全滅に近い打撃を与えた「日本海海戦」の行われたその場所です。
帝政ロシアを打倒して社会主義共和国連邦となっているソ連海軍の将兵が、その敗戦の
歴史を辿り、その海面において洋上慰霊祭を執り行っているのです。
私は背筋に寒い感覚が走ったことを記憶しています。今、日本人の中でどれくらいの人が
そのことを明確に意識しているでしょうか。
また、私が海上自衛隊を退官後、家族でハワイに行った時のことです。義父の希望で
パールハーバー見学のツアーに行ったのですが、アリゾナメモリアル(戦艦「アリゾナ」
が沈んだままになっておりその上に記念館が建っています)に行く前にTheater(映画館)
を通されます。そこで観光客は好むと好まざるとにかかわらず20数分間の映画を見せら
れることになるのですが、この映画が驚きものでした。
何と全編が「リメンバーパールハーバー」一色なのです。日本人という表現はJapanese
ではありませんJAPです。「日本人は裏切り者だ、卑怯者だ、信用できない人殺しだ」という
文句が延々と続きます。
終わった瞬間は「日本はまだアメリカと戦争をしているのではないか‥‥?」「前後左右に
いるアメリカ人に殴りかかられるのではないか‥‥?」という恐怖さえ感じるものでした。
私は海上自衛官であった時に何度かパールハーバーに寄港しましたが、その時にもアリ
ゾナメモリアルには必ず献花に行きましたが、このTheaterの存在は知りませんでした。
ロシアや米国のこのような対応はおかしいのでしょうか。それとも、国家として当然なす
べきことなのでしょうか。平和を愛することが自慢の日本の知識人を自称する方々であれ
ば、「過去のことは忘れて明日の平和を祈るべき」などと声高に叫びそうでもありますが、
「臥薪嘗胆」などという言葉もあります。
さて、みなさんはいかがお感じになるでしょうか 。

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